2018年07月26日

PTAの明暗

書くべきかどうか迷ったが、どこのPTAでも抱えている問題だろうから、あえて書こう。

結論から言うと、俺は4年ちょっとやってきたPTAを抜けることにした。
やってられん。

俺は遊ぶのが好きだし、子供達と遊ぶのも好きだ。
子供達を笑わせることも、何かを教えることも大好きだ。
そのための労力は惜しむつもりはない。



先日、釣りの講師で多良間島に出張させていただいたが、そのさいに多良間島の小学校、中学校で講話させていただいた。
中学校では「キャリア教育」として講話してほしい旨依頼され、やったことがないのでどうすればいいかと考えたものの、将来壁にぶつかったときに役立つ「PDCAサイクル」について話をさせていただいた。

島の子供達が飽きないように、笑い話を交えつつ、必要なことは重点的に。
島を去る前に教頭先生から、講話を聞いた多良間中学校の生徒39名からの感想文集が届けられた。
嬉しくて涙が出たし、講話がとても面白かったことや、将来の夢を語ってくれた子もいて、俺もとても嬉しかった。

子供たちが喜んでくれることは、自分も嬉しい。
招待いただけて本当によかった。




PTAというのは、知らない人からすると下品なアニメや番組に物申す、うっとうしい団体というイメージがあるだろう。
実際入ってみるとそういうことはなく、「子供達のために」という前提で、学校(先生方)だけでは対応できないことを提供している。

先生方もブラック企業みたいなもので、朝は早いし答案の回答やら部活の顧問やらで忙しい。
親が関わらないと難しいし、教育や子育てが学校まかせにならないように、PTAは必要だと個人的に思っている。


また、俺みたいなオタクでも重宝される。
なぜなら子供と遊ぶのが好きだし、そのための労力は惜しまないから、イベントや清掃活動(環境整備)などもできる限り手伝う。
極力何らかの形で関わりたいとは考えていた。




ただ、ウワサされているとおり、一部の人が難儀するシステムでもある。
普通は関わりたがらない。めんどくさいし、自分の子供が大事だから。
それでも子供たちのためと思えば、多少の労力を割いてもよいと考えていた。




昨年までは副会長(会長は1名だが、副会長は複数いる)という何でも屋だったが、今年は大きい行事があるということで広報委員となった。
漫画も描くし自分でも本を出している。おまけに最近は新聞でも釣りコラムの連載を持ち始めた。

広報は適任だし行事が多いので、ということで広報委員長を依頼された。


俺も副会長よりも広報委員のほうが適任だろうと思ったし、名乗り出ようと思った矢先だったので、その時はよい選択だと感じた。
子供達のためにその技術を生かそうと考えたが、その考え方は時間がたつにつれて、ネガティブなものに変わった。


専門技術を生かして新聞もウェブサイトも記念誌も作れという。

子供たちのためにやりましょう。
できれば最高のものを作りたい。
そう考えていたわけだが・・・


今まで一生懸命やっていた方には申し訳ないが、既存のPTA新聞は大人向けで、非常に読みづらく、正直まともに読んだことはない。
なので、子供たちが喜ぶカラクリとアイディアを詰め込んだ面白い新聞にしてやるぞと意気込んではいた。



しかし実際やってみると、広報委員だけではどうにもならないところが多い。

あいさつ文を代筆するわけにはいかないし、お知らせなどの情報ももらわないといけない。
部活の写真などもないので、提供してもらわないといけない。
写真集を作るわけではないので、芸術的なものである必要もなく、スマホから送ってもらえばよい程度の話。


締め切りもあるのに、素材提供の依頼をしても出てこないんだなこれが。

そして締め切りが迫る中、広報で何とかしろと言う。


そもそも、広報委員がほとんどいない。
あとで書くが広報委員ほど人気のないものはない。負担が多いうえ、専門的な技術を要するから。

広報メンバーを勧誘するときも「写真出す程度でよいから」と話し、委員からはどんどん写真が送られてきた。
しかしそれだけでは足りないんだ・・・。



スマホをちょっといじればもらえる程度の写真すらまともに出てこないのだ。
くだらない縦割り組織でもある。
行事ごとに取材同行しろってか?そんな暇誰にもねえよ。


記事はテキストを送ってもらえればいいものを、わざわざ紙で送られてくる。
俺はこれを見ながらキーボードを叩き、収まりがよくなるよう添削しないといけない。
テキストならば労力が1/3になるのに。



残念ながら、俺は「技術を持っている便利なヒマ人」くらいにしか思われておらず、見下されバカにされているのだと感じるようになった。バカにされていると感じた理由はいくつかある。


一つは「さっさと業者に丸無げしろ」という。
それはものづくりの人間に対して、大変失礼な話だ。
これがブチ切れた引き金の一つだ。


ライターとして辛いのは、評価をされることではなく「読んでもらえない」ことである。

少なくとも「関わるからには読んでもらえる楽しい新聞を」と考えていたのだが、丸無げしろという意見にやる気が消えうせた。

PTAとしては、夏休み前に新聞を発行するという体裁が重要であって、読まれることはどうでも良いようだ。
これは小さなことに見えるかもしれないが、人に見て喜んでもらうため作品作りに取り組んでいるライター、漫画家にとっては、絶対に許せない考え方だと思っている。


そもそも最初から丸投げ前提ならば、技術を持っている俺がやる必要はないはずだ。
それに業者側からしても丸無げされるのは一番困る。

丸無げなんて誰でも出来るのだから、俺じゃなくて暇と金があるほかの人に頼んでくれ。
俺は技術貧乏だから、暇も金もない。俺に頼むな。


追記となるがお金といえば、サイトを作るという話になった。

サーバーを借りドメイン取得をしないといけないのだが、PTAのパソコンが古すぎて登録できなかった。
サーバーやドメイン取得に9千円近くかかったが、請求してもなかなか支払われず。
ブチ切れた日になってようやく支払いの打診があった。

平行して祖母の入退院などもあり、金銭的にかなり辛いときの9千円。
たかが9千円かもしれないが、この9千円がジワジワと響く。

サイトの構築も管理もやれ、文章も書け、写真も撮ってこい。
子供達のためだ無料でやれ。
俺は便利屋の暇人じゃないのに、金まで出せってそりゃないぜ。



もう一つは表彰式の三次会で気分が悪かったので(というか自分の好みの店ではなかった)寝ていたところ、丸めた資料で何度も頭叩いたやつがいた。
誰がやっていたかはわかっているが、今回ブチ切れる最大の原因なのは間違いない。

ただの悪ノリだったのかもしれないだろうが、子供達が真似したらどうするのだろう?
こういうのがイジメにもつながる。
大人がそういう事も想像できないのか?
「子供達のために」にはほど遠い行為ではないだろうか。


毎度飲み会は毎度楽しかったが、この件以来、「見下されているのではないか」と感じるようになったし、ちょっとした事なのかもしれないけど一気に爆発した感じなのである。



広報委員は、どこの学校PTAでも人気がないという。

PTA広報の研修に参加したのだが、広報新聞で賞を取った小学校が講師をしていた。
とても活き活きとしており、楽しんで作っているのが伺えた。
成功した要因の一つは、イラストレーター(ソフト名)を使える父兄がいて、低コストで印刷を掛けられたことだろう。
そのためページ数を充実させ、迫力のある写真をオシャレに配置することができている。


俺のところはそこまではできないので、今の範囲内でできる事をやろうと考えたが、新聞=子供たちのためになっているのか?と思った。


誰もやる気のない所で新聞を発行するのは、金と労力の無駄だし、地域の一部の意識高い爺さん婆さんのために印刷物にこだわることが、子供たちのためにどうつながるのか、メリットがあまり見えない。
子供達のためではなく、大人の体裁を守るだけのものになっていると感じた。


俺は子供達のためなら労力を惜しまないし、講話でも使ったPDCAサイクルで改善という方法もあるだろう。
しかしながら、そもそもPTA自体が大人の体裁を守るため、便利な人をこき使う仕組みになっているので、改善する意味があるのかとも思った。

そういう所に労力を提供したくないという想いが強くなったので、PTAヤメタ




俺は他の場所で、子供たちを喜ばせる活動を頑張ろうと思う。





Posted by モソの中の人 at 16:15